エベレスト食肉センター日誌

ゲーム制作その他について書きます。

ゲームを作り①~愛をとりもどせ!~

はじめまして。エベレスト食肉センターです。

ブログを書こうとして続いたことが本当に一度もないんですけど、性懲りもなくまた作ってみました。ブログを続けるためにも、たいしたことを言わないことと、一生懸命書かないことを意識していきたいです。肩肘はると飽きる、マジで

 

といことで今はゲームを作っている。

 

 

PV見た?見てない?見といてね。面白いと思う。

 

自己紹介をする

 

自己紹介なんて誰も求めてないから面白い話だけ出しておこうよ(その話すら別に誰も求めていなかったりもするのが創作のしんどいところだな)という感じですが、僕は基本的に友達が欲しいし、別のアカウント(もう少し楽しそうなアカウントがある)から来た人には、ここでの僕がいったいどういうスタンスでやってくか伝わるといいかなと思い、書きます。

『エベレスト食肉センター』はエからーまでまとめて名前です。

ずっと文章を書いてきたんですが、まー自分の書いたものを人に見せるのって恥ずかしいよね。その割に苦労ばっかりするし、アウトプットが大変。だから僕は小説を書いて人に見せることについて『自分の内臓を出す苦しみ』と比喩していて、自分の内臓を人に見せて飯を食おうとしているので「それって肉屋」ということになってこうです。

エベレストはなんか……山田精肉店とか青山精肉店とか、とにかく山をつけたいなと思ってるときに、荻野(一緒にゲームを作っている)に『一番高い山にしな』と言われてエベレストになりました。エベさんという愛称がオキニなので、エベレスト食肉センター御中と呼びかけるのが面倒なときはそう呼んでください。

やってきたことは趣味レべルならいろいろ。俳句とか最近やってて、逆にマジで一度もやったことないのは舞台の台本とエッセイです。好きなものはメカ。

オフの超元気な僕を知る人からするとこのテンションはキモいかと思うし、実際かなり人間のことが好きなほうですが、いつも気さくにしゃべりすぎるあまりMPを使い果たして自爆しがちなので一旦こんな感じでいこうと思います。イベントにも出たいと思っているので、そこで延々とつきまとわれるようなことになるのも、教えてやろうマンに目をつけられるのも、マルチに勧誘されるのも正直御免被りたい……なんて、この文章にドキッとしたような人はきっと良い人だろうと思うので、ぜひ気さくに話しかけてください。

自省できる人はいつだって大丈夫な人間だ。

 

一回目なのでもう少し書いていきます。

二回目は絶対に頑張らないからな。

 

最初にぶちあたった壁『愛をとりもどせ!』

ブログまで見に来てくれた人たちに謙遜しても仕方ないので赤裸々に話しをしますが、ノベルゲームを作るということは僕たち(シナリオの僕と絵の荻野)にとってさして難しいことではなかったと思う(プログラムの話は今しないでくれ、プログラミング力は必要としないツールを使っているから)。

技術は売るほどあった。

だから、シナリオで苦労したってこともないし、キャラデザで苦労したってこともないし、Live2Dもさほど苦労していない(実装段階でトラブルはあったけど制作はトントンと進んだ)。頑張って手を動かすという意味ではクリエイターなら全員そうだと思う。

だから、苦労等はともかく『技術的にできない』ことはないなかで、僕たちが壊滅的に躓いたのが『愛がない』ということで、それだけは書いておきたかった。

 

愛がない。

あえてポエミーに書くとすれば、昔は愛という水がジャブジャブ溢れていたオアシスを心に持っていたはずなのに、なんかふと見たら一面が砂漠だったような絶望。それに気づかなかったことに驚愕し、2人で顔を見合わせてもどうすることもできない。

好きなものもない、表現したいものもない、描きたいキャラクターもいない。ちょっと好きかもしれないという人やものがあっても、それはイメージに留まり、過去の『好きだった』の焼き直しにすぎない……ということに気付くだけの繰り返しだった。

両手には必要十分な(有り余る、というほど天狗にはなれない)技術があり、かつて好きだったもの――たとえば高校時代に何度先生に叱られてもやめられなかった授業中の落書き、溢れて溢れて止まらない物語を書き出すのにタイピングの速度が足りなかった時間、そういうときに作っていた世界、人々、今の技術で出力し直したら気持ちいいのではないかと思ってなんど試してももう砂のようで色すらない。

信じられないことだった。

形はどうあれずっと創作に関わってきた僕たちである。

作ろうと思えばキャラデザが出来るし、作ろうと思えば物語が出てくるわけで……それなのに何にものめりこめない。僕はうっかりというか試しにというか、好きになりたくて作った設定で4万文字の小説を一本書いたが、感慨としては『で?』以上でも以下でもなかった。

……わかってもらえると思う。何か書いたり描いたりしてきた人には、誰でもあるだろう、あの宝物と呼べそうな時間の全部。あの時作っていたものには、きっと果てがなかっただろうと思う。たとえ物語が終わっても作った人々はどこかで生き続けていたと思う。でも今の僕が作ったのは時間制限つきの自動人形程度のもので、お上手に物語を再生することはできても、話が終わったら終わり。誰も思い出さないし、悲しいことに作り手であるところの僕が一番思い出さなかった。

上手に書けた、ただそれだけ。

正直なところ、別にそれでもいいし、ぶっちゃけ上手に書くにはそのほうが都合が良い。ただ完全な趣味で何かを作るとなると話が違ってくる。膨大な時間をかけて何かを作るためには、愛がないと無理だ。だってそれ以外に何の報酬もないのだから。

 

本件、本当にジタバタした。

僕たちはもういい大人なので、正直言ってボカロ曲って寒い。なろう系も俺強も寒い、アニメもだいたい寒い、やりこんでたはずのゲームも全部もうどうでもよくて、かつてはあんなにきらめいていた自分の創作なんざ恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて外になんか絶対に出せないし誰にも見せたくないし話題にも出してほしくないしそんなことより人生ちゃんと歩んでる友達のビジネストークのほうがまだ有意義に思っていた。

いろいろ考えた。砂漠のスケルトンになった僕に書けるものなんてせいぜい大学生の恋愛が関の山的な恥ずかしさで、主人公の男が肉屋だとかヒロインの女が天使だなんて話は正気では書けない。マジ、さみーんだよそういうの、いい年して……脳裏でそういう声がする。

そして至ったのは、大人の僕らってマジで今正気なのかという話。

ボカロ寒くないよ。かっけーよ。天使寒くないよ。かっけーよ。アニメおもれーし俺強ってきもちーし剣と魔法の世界にできればいきてーよ。だって昔大好きだったじゃん、秘密結社やったらいいじゃん、謎の組織攻めてきたらいいじゃん、そういうのってちょーいいじゃん?楽しくね?なんか好きじゃね?好きだったよな、お前。

……そういうカンジ。

それから大人の僕らにとっては地獄の、ガキの頃の自分を思い出せば楽しくてたまらないリハビリを始めた。

聞くのはボカロ。歌うのボカロ。

この曲って俺らのイメソンじゃね?

……ボーカロイド曲には恨みはないどころかかつて死ぬほど好きだったので、大人になって砂漠に突っ立ってるスケルトンとなったところの僕らを、愛でジャブジャブのオアシスになんとか連れ戻してくれんものかと頼った次第である。

一生ものの愛とか恋とかさあ。

自分だけが孤独とかさあ。

殺したいくらい好きとかさあ。

世界が僕らだけのものだとかさあ。

そういう気持ちにしてほしかった。

そうでなければ一生僕たちは砂漠で文章や絵のようなものをかきつづける悲しきスケルトンであるような気がした。本物の愛なんかない。本質的な孤独なんかない。人はそんなに簡単に死なないし人を殺さないし死んだところで世界は全然フツーに回っていくなんてことは、絶対に知ったらダメなことだった。

誰かの愛に「寒(笑)」って言う度に自分の中から愛が欠如していっていることに気が付かなかった。言った悪口は必ず自分に跳ね返る。自分が作ったもののすべてが『寒かった』んだ。僕らは。

 

そんなわけでボカロリハビリをしつつ、砂の色をした自分の創作を反吐りながら作って、寒いを禁句にしてとにかく褒め合う活動をした。滑稽である。いい大人が二人膝をつきあわせて「これは吸血鬼♡」「いいね♡」みたいな話を日がな一日やっている。

付け焼刃で作った《創作っ子》なんて正直可愛くもなんともない。でもたまにちょっとだけいいなと思ったりして、生きているような気がして、そのちょっとの姿を追い求めてとにかく褒め合う。褒めちぎる。「こういうの寒いんだ」で縮こまっていた脳を叩き起こす。そういう虚無の時間、毎日なんとなく「何をやってんだろな」と言い合って、即座に「絶対に意味があるはずだ」と否定しあったりして。

――その姿は寒いか?(※あまりにも社不ではある)

寒いと思った人は振り返って欲しい、あなたの世界もきっと砂漠になっている。

 

そんなことを繰り返し、思い返せば整ってきたと思う。最近ボカロ曲かっけーと思うし、他人事すぎてやるのが苦痛だったRPGもプレイできるようになった。「お願い時間をとめて 泣きそうなの でも嬉しくて死んでしまうわ」と聞いてサブイボに身を踊らせながらイヤホンをぶっ壊すこともない。だって愛というものは世界にあるのだから。僕はそれを信じられるから、尊いと思うことができる。

そこまでわかってしまえば、あとは書くだけだった。別に僕が特別に何かをする必要はないし、上手く書く必要もない。肉屋の青年・リンは生きていて、そこに訪れた天使のリゥ・リゥも生きていて、僕がやるべきことはいっちゃん刺さる彼らの人生の一部分を、ゲームの尺にカットするだけの単なる作業だ。

 

ああだから、ゲームをしたら、寒いのかもしれないよ。

主人公はやれやれするし、天使も出てくる。でもそれはそこに『ある』から、それを信じてくれるなら、尊いものをきっとあなたがたの心に残すと思う。でも砂漠のスケルトンであったところの僕らが、今の僕らが作ったゲームを見たら、きっとサブイボに踊ってスマホ叩き壊して「クッソ寒い」って笑ってすぐ忘れる。まあ別にそれでもいいけど。僕は大人がそうなっちゃう理由もちゃんとわかってるから。

 

とりあえずこんな感じ。脈絡ないかもしれないし、別に上手いこと書いてないかもしれないし、誤字脱字やってるかもしれないけど特に整えない。このブログの目標は僕が頑張らないこと、それ一点だから。読んでくれた人はありがとう。